9 posts tagged “解離性同一性障害”
市橋先生にあの言葉を言われてから、ずっと考えていたことの答えを中村先生にいただきました。
おままごと
これが正解です。
したいことやして欲しい事を、しているだけ。ただそれだけ。抱きしめて欲しいとか、肌と肌を触れ合いたいとか、逆に抱きしめたいとか、ただそれだけのようです。
フランスにラップ療法と言うのがあって、包帯でぐるぐる巻きにした人たち同士でおしくら饅頭すると、精神的に安定するとか。面白いですね。
あと、やけどの患者さんにはトラウマがないという話を聞きました。
やけどの患者さんは包帯でぐるぐるまきにされて、空気ベッドみたいなところにふわふわと浮いた状態で治療を受けるそうです。先生の考えだと、それが胎内にいるときのような状態を感じるので、落ち着いていてトラウマにならないんじゃないかとの事。
ちなみに、足折ったり、無くしたりする人は、ひどいトラウマが付いて回るとか
中村先生が救急にいたときの話だそうです。
結局、わたしは赤ちゃんから成長していないのだなと、思いました。
頭は成長したかもしれないけど、心は赤ちゃんのままなのかも。しゃべれない、聞いてもわからない、表情を作れない、わかるのはにおいくらいか・・・それも何なのかはわからないかもしれないですね。
結局ここに戻りました。
なんだかな~
昨日病院で
「君は性と感情が遠すぎる」
的なことを言われました。
君と言うのは、私の中のもうひとりのわたしですが。
それで、今食器を洗いながらふとそのことを思い出し、先生に「sexをすることは君にとって何?」と聞かれたことを思い出しました。わたしの答えは「暇つぶし、カラオケに行くのと同じです」それで、先に書いたことを先生に言われたのです。
で、そのことを思い出しているときに頭の中で「それではあまりにも子供だ」と言う考えと言うか思いと言うか、もっと正確に言うと「声」が出てきました。
それではあまりにも子供。
コミュニケーションの一環だと、色々考えると思うのだけど、わたしはsexでコミュニケーションしているか?といわれると、不特定多数のよく知らない人とはコミュニケーションしていない。だってする意味もないし、相手もそれは求めていない。相手が求めているのは射精することで、わたしはフラフラと暇つぶし?をしている。
じゃあ、愛する人だとどうかと言うと、ものすごくコミュニケーションしています。とても大切な事。
ちょっと話をそらして、たとえば片思いの人相手に「ああ、あの人とsexできたら・・・」って、みんなは思うのかな、(女子限定)これ、聞きたい。わたしは思ったことは無い。片思いの次点で、sexできたら?は早いような・・・好きになってもらってからかなーと。
で、好きになってほしいがためにストーカー的なことをするのがあたし。大暴走。
sexって、なんでしょうね。
ボノボはお互いの仲直りのために、性別問わず性的行為を少ししますよね。でも、人間で性別関係なく・・・っていうのは、特異な例を除いて無し。
フラフラっと暇つぶししているいぶきちゃんは、何を求めているのか。それを考えるのが私の課題なのです。私の痛みを全て受け持った彼女の求めていること。
最近はまったく出てこないので(昨日ちょっと出てきていやなこと言われたけど)、わからない。彼女の気持ちがわからない。
もう少し、コミュニケーション取れたらなと思う。
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ところで、まったく話が変わりますが、子供のときから色々な情報に触れることって本当に大切だなって、大人になってからほんっとに思います。わたし母親に情報を遮断されていたので、いろいろなこと、生きている上で知らなくてはいけないような、正しい感情、知識、そんなものが手に入ったのは19歳を過ぎてからでした。だから、今でもつながらないことがたくさんある。
もちろん本は読んでました。でもそれは昭和初期に書かれたものだったり、もっと昔だったり、時代が違いすぎて、そして、現代は時代の流れが速すぎるので、まったく合わさらない。合わさったのはビリー・ミリガンやソフィーの世界くらいか。ああ、その手の本をもう少し読んどけばよかったかなぁ。こんな言い訳じみたこと言わなかったかも。
最近おもいきりエウレカセブンをマンガで読んだりアニメで見たりして、こういう話をリアルタイムに中学生くらいで見ていたら、話は変わっているかもしれないなと・・・ふと思うのです。友達から借りたマンガ(海獣の子供、魔女)も読みました。やっぱり訴えかけるものが違う。
でも、手塚治虫作品なんかはいつ読んでもいいかもですねぇ。
わたしに与えられていたものは、健康的過ぎていた。わたしの悩みを解決するものがなさすぎた。
と、また言い訳始まった。お母さんごめんなさい。
あーーーーーー、いぶきちゃん、お話ししようよ~。
ひっさびさにダウンしました。
C様は出てくるし、彼女悪い子じゃないんです。しかも今どうしなくちゃいけないのか。それを理解している。偉い。
ところで。先生に「怒りの感情を昇華させないといけない。ちょっとした喧嘩だって、仲直りするまで時間がかかるでしょ」といわれたのですが・・・・
あたし、喧嘩と仲直りしたことがない。
一方的に怒ったことはあるが(家族だけ)、謝ったことはない。
家族以外の人と、喧嘩になったことなんてない。
C様は怒りの塊。彼女の怒りをうまく納得行く形で沈めないとダメと先生は言うけれど、でも、もうわかってるんだと思うんだよね。わかってるけど・・・・どうにも出来ないって言うか。
もう、文句を言う相手がないんだもの。納得できるまで話せる相手が居ないんだもの。その相手はすでに反省していて、たぶん謝るだけ。ゴメンナサイを繰り返すだけになってしまう。
そして、そのごめんなさいは言わなくていい言葉なのだ。
彼女は何も悪くない。どうしようもない中起こってしまった出来事だったわけだから。
誰をせめてもしょうがない。
この状況で、怒りを昇華させる方法って言うのは・・・・どうしたらいいのでしょうか。
発端
ケータイメモに「自分をいじめたい、自分を消したい、あんたは幸せになったらあかん人間や。」と、関西弁の子からメッセージが入っていたので、むーちゃんを交えて、会話してみました。
A:いぶき(表人格)
B:いぶき(関西人人格)
C:むーちゃん(旦那様)
3人で、メモ帳に書きながら、会話をして見ました。
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A:あんたは幸せになったらあかんゆうけど、私が幸せになるちゅー事は、あんたも幸せになるっちゅー事やで、あんたは幸せになりたないんか(関西弁の子に話しかけるときは、関西弁で話し始めます)
B:幸せになる資格がないんや、あんたにっくん(大阪のときの高校生彼氏)に、どんだけいひどいことしたかわかってるか?
A:わかってるけど、もう何年も前の話しだし、そこで立ち止まってたらいけないと思うの。
B:罪は消えへん。もうええちゅーことはないんとちがうか?
A:消えないし、忘れないけど、それとこれとを同じにしたらいけないと思うんだよね。わたしは前を向いて歩かなくちゃいけないし、今、とても幸せを感じているでしょう。そこはどう思ってるの?
B:わからん、理解できん
A:そっか、むーちゃんと話そうか。
C:みんな、罪とか恩とかそういうものを抱えて生きてるんだよ、君だけじゃないんだよ、みんなそう。それなのに、君だけ幸せになっちゃいけない事なんてないんだよ、どんな人だって幸せになる権利を持っている。そしてどんな人だって幸せになる為の努力をする権利があるんだよ。
B:わたしは努力がたらんねんな。
努力って何したらいいんやろか。
C;幸せになる努力をしたらいいんだよ。少しづつでいいから、「こうなったらいいな」「こんな風に毎日が過ごせたらな」って思うところから実現できるようにがんばればいいよ。君はどんなことが幸せだと思う?
B:愛される人間になること
みんなが幸せになれるように手伝ってあげること
毎日がつつがなく送れる事
むーちゃんとずっと一緒にいられること
楽しいことを思う存分楽しめること・・・・
でも、それを認められて無いと思う。私はそれではあかんとおもうねや。
C:さっき言ったけど、幸せになることを認められていない人なんていないんだよ。君も幸せになっていいんだよ、いけないのは昔の罪のことばかりを考えて、未来のことを考えないことが一番よく無いよ。昔のことを振り返ったら、それを糧にしても先に進むことが大事なんだよ。
B:糧になるんやろか、いや糧にせなあかんゆうことやな。あたしでも幸せになってええんやろか。あんたはこんなわたしでもちゃんと受け止めてくれはるんやな、ほんまにぐちゃぐちゃやで。
C:思う存分幸せになりな。ぐちゃぐちゃなのは大丈夫。突き放したりしないから
B:ありがとう
C:幸せになる過程は今みたいにつらい時期もあると思うけど、心配しないで、いつか絶対に幸せになれるから。君の意志は君を裏切らないから、君が願えば願うほど、努力もすればするほど幸せになれるから、一緒にがんばろうね。
B:はい
そして、むーちゃんは「みんな一緒においでー」と、抱きしめてくれました。
子供ないぶきちゃんはぬいぐるみを用意して、育てることにしました。スリングを母に要求しましたw
わたしのみなさん、私です、
最近元気だよね!楽しい日々でよいですね。仕事をしなければいけない重圧からも抜け出せたし。精神障害者福祉制度があることも知りました。
だから、背負うものがどんどんなくなってるよ。
ここらで、ゆっくりお話ししませんか。
寂しんぼうちゃん、よーく周りを見渡して、いま、わたしのまわりはたくさんわたしを愛してくれるひとがいるよ。そして、むーちゃんという家族も出来ました。自分のことのように私のことも考えてくれるし、調べてくれるし、やってくれるし、もう、寂しくなんて無いんじゃないかな。もう、消えられない存在にわたしはなっているよ。
迷惑はかけていて、大変申し訳ないし、ありがたいと思っているけど、でも、みんなはそれを普通のこととして受け止めてくれている。だから、ありがたいだけでいいんじゃないかな。どう思う?
こういう状況になるなんて、予想もつかなかったから、戸惑ってるのか。
そうだよね、最近は戸惑いの日々だ。
これが当たり前なんだね。当たり前なんだよ。当たり前の幸せで、普通の生活なんじゃないかな。
強いわたし、同じく戸惑ってる?もう、無理して1人でがんばらなくてもいい状況になったんだよ。1人で突っ張って、何でも出来る、やれる私じゃなくても、私は必要とされている。1番でなくてもいいんだ。あなたのおかげで、私はとてもいろんな事が出来るようになりました。ありがとう。強いし、早いし、手際もいい。これは、あなたがもっていてくれた私の才能。
私達は、私。私達ではなく、私。
みーんな同じ。
私。
お互いのいいところも、駄目なところも、さらけ出して生きましょう。それが私だ。
生きたいのもあたし
死にたいのもあたし
愛されていると受け止められているのもあたし
迷惑をかけているから消えたいと思っているのもあたし
それを迷惑だなんて思ってないことを知ってるのもあたし
1人じゃないことを知って弱くなったのもわたし
弱くなった私を強い私に戻したいのもわたし
ヤクザなときのあるわたしもわたし
私をいじめるのもわたし
その理由をわかっていて受け入れられているのもわたし
その全てがばらばらになって、こんがらがっているのが、今の状況だと、先生に教えられた。
確かに、バラバラに受け持ってもらっている感は否めない。ああ、ヤクザなあたしが出てきた・・・とか、ああ、弱いあたしが出てきたとか、別人格として認識している。
でも、病院に行くまでは認識すら出来ておらず、何かが起きていると、思っていただけだったのだから、進歩といえば進歩か。
全部あたし自身なのだ。全部あたし自身なのだ。
すっかり目が覚めたので、続きを書こうと思う。
実は昨日、4人目のあたしがいることがわかったのです。
私たまに関西弁で考え事をしているときがあって、そういえば不思議だなと、ふと思いました。
関西弁で何か考えるときは、少し気が強くなっていて、何でかな・・・・と。
そうしたら頭の中からなんとなく声が聞こえたのです。
「あんたの、大阪での恋愛が無かったら、病気にはなってなかったんやで」
と言うような、関西弁の声が。だからあたしは、
「あんた、どこに隠れてん、なにしててん」
と言う風に、問いかけてみると、「うるさいわ」見ないな気持ちがぽっと出てきて、あ・・・・もしや4人目だと思いました。
それから、関西弁で自分に色々問いかけると、いろんな気持ちが返ってくる。だんだん気分も悪くなったけど、これはやらなくちゃいけないことだと思って、少し続けました。
この、関西弁の子は他の子より全然交流が出来て、なんか進んだ気がしました。
今日、病院なので、先生に伝えてみようと思います。
思い出せば、本当に大阪に住んでいたときの恋愛はもうすごかった、と言うか、私本当に悪いことをしたなと思ってます。でも、それもなんとなく他人事なのですが・・・・・
もしかしたら3人のうちの誰かが元々関西弁の子なのかもしれない。
今日は母が長野から来て、色々、手芸用品を買って、最後に砂風呂入って(どんだけはまったの?)帰ります。
では、また今夜。